日本篆刻界の第一人者 丸山楽雲を記す


丸山楽雲〈論語篆刻集〉が中国図書出版から出版されました。その序文の一部を紹介いたします

日本篆刻界の巨匠 丸山楽雲を記す
元北京故宮博物院書法篆刻家
北京聯合大学書画篆刻研究所所長
李 燕生

私と丸山兄が初めて知り合ったのは一九八〇年で、彼が出版した「深邃印存」と言う印譜を拝見したのは翌八一年の事でした。当時私は、故宮博物院に勤務し、書法、篆刻を研究していました。日本の書道、篆刻界の印象は、多くの作品のどれもが個性を強調しすぎて、古典に拘束されない作品ばかりでした。私は丸山兄から三方の名前の印を戴いて、兄の印の伝統的な基礎力の深さに驚き、崇敬の念を抱きました。私も早速二方の印をお礼に刻して贈りました。その当時、丸山兄は中国を訪問され、北京飯店で再会しました。言葉が通じない私たちは筆談で、日中の書や篆刻の歴史と発展等について交流し大変有意義でした。振り返ればもう三十年近く前の事です。

一九八五年に私が日本へ留学した際は、丸山兄には大変お世話になりました。二人の間で芸術の交流も頻繁に行いました。私の住む東京、或は兄の故郷である長野県松本市などで、一緒に書いたり、飲んだり、山にも登ったり、古今を談じ、共に漢詩を作りました。私は丸山兄の漢詩に対する造詣の深さもさることながら、その情趣の深さ、韻律、慎み深く、自分を隠さず、飾らず、素朴で率直、無為自然であるところに純粋な芸術家気質を見てとりました。丸山兄は、詩、書、画、印を共に能くする四絶です。その点でも彼は日本で最も崇敬する優れた芸術家です。

日本古来の印象は、中国の古代の官印の法を習い、奈良時代の印章は、隋唐時代の印制を取り入れています。大宝二年の筑前国印は現存する日本最古の印で、字体は中国の篆書ではなく、繁雑さを省き、簡略して実用を容易にしたもので、大和古印体とも称されます。東京国立博物館所蔵の遠江国印、法隆寺印等で、新生面を開き、一格を備えています。

文人や、学者、書画家達が印を挙って制作する様になったのは明朝の戴笠が日本に渡った時から始まります。戴笠は名を独立と言い、六芸に精通し、各書体を能くしました。それから二十年後に心越、俗名蒋興儔が来日して初め長崎の興福寺に住み、後水戸の祇園に移住しました。詩、文章、書画、篆刻共に能くし、日本に法を伝えた人物です。日本の篆刻の開闢と言えます。その後日本にも幾多の印人の輩出を見ることになりました。例えば榊原篁洲、細井広澤、池永一峰、三井親和、柳里恭、佚山、高芙蓉、池大雅、曽之唯、濱村蔵六、篠田芥津、小曽根乾堂、円山大迂、中村蘭台、山田寒山、山田正平、桑名鉄城、河井荃廬、園田湖城、松丸東魚等で多くの篆刻の名人は漢印を学び、作品は雄渾にして高邁、素朴蒼勁です。

中国には金石学が勃興し、西冷八家、丁敬、黄易、蒋仁、何震、鄧石如、呉讓之、趙之謙、楊沂孫、呉昌碩、趙古泥、鄧散木などの大家が出現し、更に日本の印壇に大きな影響を与えています。

現代の日本の篆刻界の多くは師事している先生の風格で、一見して何処の社中かがすぐ分かります。丸山兄は若くして梅舒適に師事し、天与の聡明さで早く出藍の誉れ有り、一九七五年頃法を変え、彼の篆刻は戦国古壐を学び霊感を得ます。簡素にして深遠、虚飾を廃し、古代の印の味わいと蘊畜を有し深みがあります。よく変化に優れ、刀法、筆法の調和と統一が図られ、又封泥や人物の肖像、漢画像の石刻、磚の銘文等を能くし、側款も変化に富むものです。篆法は厳謹で疎かでなく、且方筆、円筆の運用も自由自在で、典雅、古朴、清影自然の妙があります。また、篆書や隷書は古典の法に則り、筆力流動して意の趣くままです。

金文、小篆、漢隷、木簡は古雅で枯れていて力がこもっています。呉昌碩、鄧散木の風趣も加わり、更に巧妙です。行草書体は連綿が行雲流水の如く自然で、多く明朝の人の風格を持ち、見る人に思いを馳せます。意気は高く広びろとしていて、自ら一家の風を有し抜きんでています。現代の日本書壇や、篆刻界に比肩する者がいないほど優れた正に現代の巨匠です。

最近丸山兄の近作「論語篆刻集」を拝見して感慨無量でした。この大著作は五〇〇余顆の精品で、日中両篆刻界では初めての出来事です。この厖大な作業と気力は驚きです。また丸山兄は中国の古賢名言を崇敬する心を忘れていません。中国の文明歴史を尊び道徳の伝統文化を広めることが今の中国では最も重要なことです。丸山兄のそう言う姿勢を私は尊敬しています。

「論語篆刻集」は日中篆刻界に齎す一つの大きな出来事です。同時に文化交流の又一つの優れた花です。この労作は中国の印壇にとってセンセーショナルなことであり、同時に必ず日中両国の篆刻界を震撼させるものです。

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